■これは以前にも、通潤橋の円形分水以外にもそういうものがあるということに関してはお知らせをしてきたところです。    しかし、この冬に、実はもっとあるという事実がわかりまして、びびっているところなのです。    私が調べたところでも、九州に5箇所あります。このうち、3箇所は行きました。そのことを紹介します。    通潤橋の円形分水      音無井路十二号分水      御宇田井手の扇形分水      内田川の堰   1)通潤橋の円形分水  ~~~~~~~~~~~~~  (これは周知の事実ですから、省略します。しかし、意外と、通潤橋と同じレベルで授業をされている方がいるから念のために書いておきますと、・・・・    完成は1956年(S31年)です。通潤橋は1854年、比べようもありませんよね。同レベルで授業できない理由です。先人の工夫という「先人」があまりにも違い過ぎるわけです。)   2)音無井路十二号分水  ~~~~~~~~~~~~~~   これは以前、紹介した私家版にも紹介していたのですが、偶然、大分は竹田を散策中に発見したのでした。    こちらは1934年(昭和9年)完成だそうで、やはり水路自体は江戸時代で、原因は水争いだそうです。    名前からして12箇所あるということになりますが、現存するのはここだけのようです。    こちらでは、円形分水ではなくして、円筒分水と呼ばれているようです。   3)御宇田井手の扇形分水(おうだいでのおおぎがたぶんすい)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ■山鹿にあります。   925年(延長3年)伊勢からやってきた御宇田氏が引いたとされている用水路だそうで、ここに円形ではなくして、扇形分水というようです。    このすぐ横に内田川というのが流れていて、堰が作ってあり、そこから取水してあります。    理科としても使えます。「流れる水の働き」で使えます。完成年はわかっていないようです。あと2箇所は、別の日にて!!